Smileゆり(柳澤由理)のはてなきブログ

魂と身体から自信を取り戻す・世界平和のメッセージ

第五部41話三菱財閥の創業者岩崎弥太郎(再び御厨人窟に9)

最御崎寺に行ったあとBさんと共に津照寺(しんしょうじ)にお参りしたあと、
その近くの「釜めし初音」というお店でお昼ご飯を頂きました。

鯨の釜めし定食


鯨の釜めし定食を頂きました。

ちょっと食べたことのない位の美味しさでした。

 

「釜めし初音」

https://kamameshi-hatsune.com/index.html

そのあと、
三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎氏の生家に案内してもらいました。

 

岩崎彌太郎生家~安芸市観光協会

https://www.akikanko.or.jp/kanko/yatarouseika.html

 

庭に日本列島の形の石があり、日本を見据えて子供時代をすごされた、
という説明がありました。

 

話は変わりますが、
私は宇治と京都市だけでなく、大阪の図書館まで本を借りに行く事があります。
空海さんや三蔵法師玄奘さんの動画作成のために何度も大阪の図書館まで足を運びました。

 

いつもお世話になっている、図書館の裏に神社があるのに気づいて、行ってみたら、三菱財閥の創業者岩崎弥太郎氏の屋敷がすぐ傍にあったらしく、岩崎弥太郎氏がよく手を合わせていた神社「土佐稲荷神社」というのがあったことを、Bさんにお話したら、

 

「それならば岩崎弥太郎さんの生家跡にご案内しましょう」という事になりました。

 

51歳で亡くなったと書いてある、岩崎弥太郎さんの写真を見ると、とても51歳以前とは見えない貫禄で驚きました。昔の人の成長や人生の充実ぶりって凄いもんがありますね。

 

Bさんに室戸世界ジオパークに送っていただき、そこから帰りのバスに乗り帰りました。

これに懲りず、その1週間後には、何と日光に行きました。
(我ながら驚きです)

 

続く





第五部40話 ご祈祷を受ける(再び御厨人窟に8)

お寺で本格的なご祈祷を受けるのは、代理とはいえ、初めてでした。
護摩焚きに高野山の宿坊で参列したことがありますが、
護摩焚きではないご祈祷は初めてでした。

 

最御崎寺の住職は思ったより若い方で、驚きました。

最御崎寺の門




住職は、大きな太鼓をどんどこどんどこどんどんどんと
叩きながら、「般若心経」をあげました。

 

私にはわかりませんがいくつかのお経をあげながら、

大きな数珠をじゃらじゃらと動かしながら
念をいれて、祈ってくださいました。

 

そして、椅子に座っている私達さんが頭をさげると
その背中に、持っている大きな数珠を

じゃらじゃら!

がたがた!

とこすりつけるようにして
「浄化!!!!」してくれました。

 

ちょっとイタ気持ち良いような感覚でした。

 

そしてまた何かを鳴らしながら
お経をあげてくださいました。

 

もう何が何やらわからないのですが、
とにかくめいっぱいご祈祷していただいた感じは

伝わりました。

 

太鼓をどんどかどんどかどんどんどん

と叩きながらの

般若心経は

 

恰好よかったなぁと今でも思います。

 

続く


第五部39話 岬観光ホテルで朝日(再び御厨人窟に7)

岬観光ホテルは高知県の最南端に位置するホテルで、大海原の眺めは最高でした。
ちょっとレトロなホテルでしたが、翌日の朝、朝日が海からのぼるのを見る事ができたのが最高でした。

 

朝日は海から出た時とても綺麗でした。
海の少し上に分厚い雲がかかっていて、太陽はすぐに雲にかくれてしまいました。
太陽がのぼる時だけでも、雄大な姿を見せてくれました。
感激しました。

 

岬ホテルからみる朝日





岬のすぐそばの山の上に灯台があります。その灯台の近くに最御崎寺(ほつみさきじ)があります。

 

その日は朝ごはんを食べてチェックアウトしました。迎えにBさんの車に乗せてもらい、山の上の最御崎寺まで行きました。

朝日が登った時は晴れていたけれども、その後すぐに曇り、雨が降りだしました。

 

今回最御崎寺にお参りしたのは、
第五部34話「ご祈祷の予約(再び御厨人窟に2)」
https://yulilove.hatenablog.com/entry/2022/10/13/121114
で書いたように、

私がAさんの代理で ご祈祷を受けました。

(詳しくは上のリンクを見てください)

 

雨が本降りになっていました。

最御崎寺の駐車場から階段をあがりました。

世界各国の著名人や平和活動で有名な人の像を見ながら、

階段をあがり、仁王門をくぐり、境内を歩き、受付に行きました。

 

受付でAさんのご祈祷願いの申し出を紙に書いて提出しました。

 

時間がきて、住職の方が来られました。
「私についてきなさい」と言われてついて行きました。

ご祈祷を受けるのは、私と主人とBさんも一緒に受けて頂きました。
続く

第五部38話二度目の御厨人窟(再び御厨人窟に6)

Bさんに御厨人窟に連れて貰った時、
室戸世界ジオパーク空海さんコーナーをしっかり見たせいか

海と御厨人窟の位置関係が変わったのだ、という点をしっかり感じ取りました。

 

昔、空海さんが御厨人窟で修行された時、この洞窟からすぐ前に海があったということです。
洞窟からは海と空の青しか見えなかったということなのです。

 

動画にしています。
【漫画】弘法大師空海

大学中退して悟る
https://youtu.be/GTHYfPXCF_w

 

その感覚に意識を向けました。

 

太平洋の大きな海の波の音がすぐそばで、ザザーンと響いて伝わる、そんな洞窟で

空海さんは「虚空蔵聞持の法」(虚空蔵菩薩の説く記憶力増進の秘訣)に従って、虚空蔵菩薩真言(なうぼう・あきゃしゃ・ぎゃらばら・おむ・あむりきゃ・まりぼり・そわか)を百万回唱える修行を一心不乱に取り組まれました。

御厨人窟の写真



空海さんが若い頃に書かれた「三教指帰」の序文にその時のようすが書かれています。

 

(たまたまですが、昨日「三教指帰」の本が届いたので、届いたばかりの本を見ながらこれを書いています)

 

その当時の僧侶は「公務員」でしたから、天皇や地位の高い貴族につかえることがメインとされていました。

しかし空海さんはそれだけでなく、広くこの世界の全ての民を救おうと考えておられました。

 

その心意気が「三教指帰」の文中に見て取れます。

 

そして虚空蔵菩薩の応化(おうか)といわれる「明星」が空に現れたとか、口に飛び込んだとか、書かれています。

 

洞窟の中から見えるのは青い海と空だけだった時に、そこに明星が現れると、一体どれほどの感覚を味わうことでしょうか。

 

ちなみに前回御厨人窟を訪れた時の感覚を記録しているブログ記事はこちらです。
第五部4話 御厨人窟御厨人窟4)
https://yulilove.hatenablog.com/entry/2022/04/05/205501

こちらも合わせてお読みください。

その日はそこまでにして、観光は翌日の朝に、という事で、Bさんに岬観光ホテルまで送って頂きました。

続く

第五部 37話 空海さんの声(再び御厨人窟に5)

主人と二人で室戸岬へ行く遠距離バスに乗りました。

良いお天気の日で、室戸岬に到着するとき、窓から

青い空と海の風景が見られて、嬉しかったです。

 

Bさんとは待ち合わせの室戸世界ジオパークのバス停で対面しました。

 

SNSの記事投稿から伝わる雰囲気のままの素敵なお人柄でした。



ジオパークは、前回主人が運転して室戸岬に来た時、トイレを借りに入ったことを覚えています。その時は奥まで入りませんでした。今回初めて行きました。

 

ジオパークの奥には、弘法大師空海さんのコーナーがあり、空海さんが唱える「虚空蔵菩薩」の真言の音声が流れます。



確か八十八箇所の中に善通寺というお寺があります。
空海さんの生家跡をお寺にしたものです。

 

善通寺の広い境内の中に「御影堂(みえどう)」という建物があります。

そこの場所は、子供の頃空海さんがいらっしゃったお家があった処で、空海さんのお父さんが空海さんにお寺を寄進されたというお話です。

そこには戒壇めぐりというのがあります。

御影堂の地下を一周する約100mの真っ暗な回廊を歩く修行の場です。

左手を伸ばして、暗い中、左側の壁をずーっと つたって進みます。
(左手が仏様の世界、右手が私達の現世なのだそうです。)

 

奥にいくと、御影堂の中心の真下にきます。そこで声がします。
御影堂のご本尊である、秘仏お大師さまの自画像から骨格を割り出して声を再現した声です。

・・・
ジオパーク御厨人窟空海さんのコーナーで流れた、真言を唱える声は、
善通寺の御影堂の地下の戒壇めぐりの時の声と同じような声でした。

穏やかな声でした。

 

そこからBさんに車で御厨人窟に連れていってもらいました。

続く



第五部36話 法事とバス(再び御厨人窟に4)

母から法事を頼むと言われてから数日後、実家に行って、母と法事の打ち合わせをしました。

 

法事に使用するのは昔だとお食事をするお店を考えるところだが、遠い距離を越えてやってくる親戚の叔父叔母の面々を考えるとJR京都駅付近がいいじゃないか、ということになった。

 

・駅から近いこと

・会食のコースはお弁当などの軽い手頃なものがあること

・会食の部屋の室料が安いこと

・会食のお部屋は椅子のお部屋があること

などの条件を考慮して、スマホで探すと京都駅八条口のホテルが最適だった。

 

そしてみんなの荷物にならないように、各自お供えのお菓子などは持ってこないようにお願いしました。

 

法事の当日、久しぶりに遠方から叔父と叔母が集まり、父と私と妹とでお寺で法事をすませてホテルに移動しました。

(法事の時は、妹と役割分担したので助かりました)

 

会食も楽しく滞りなく済みました。

会食のお弁当



会食の最後のデザート

私が主人と結婚した時も、人前式で行い、参列してくれた、叔父と叔母たちに向かって誓いの言葉を発したことなどもとても懐かしい思い出です。(あれから14年経つんだなぁと思うと心がしみじみ)

 

法事と会食が終わってから、一旦実家に立ち寄ってそれから帰りました。

 

その日はできるだけ早く寝ました。翌日の朝、早く起きて、大阪梅田まで移動。そしてHERVIS PLAZA前にある遠距離バスの乗り場から無事にバスに乗ることができました。

大阪から室戸岬行のバス



乗ってみたら、素敵なバスでした。さぁ到着するまでできるだけ寝るのだ! 続く

第五部35話 直前に舞い込んだ法事(再び御厨人窟に3)

第五部35話 直前に舞い込んだ法事(再び御厨人窟に3)

 

御厨人窟に行く旅の手配も整ったある日の夜、実家の母から電話がありました。

 

なんと祖父と祖母の33回忌と、叔父の17回忌の法事が飛び込んできました。

 

母の話では

「本当だと去年行なうべきだったが、

新型ウィルス、コロナの流行が気になってできなかった。

それを今年(令和4年、2022年)の5月におこないたい」

という事でした。

 

ふむふむと聞いていると、母はこう切り出しました。

 

「私が生きている間にひらく法事は今回が最後だと思う。

私はお寺まで出かけられないから、ゆり、

あんたが中心になって法事の切り盛りをしてくれへんか。

どうやるのか、やり方は教えるから」

 

それでその日はいつなのか、尋ねたら

なんと、5月の最後の土曜日でした!

 

その翌日の朝、
早朝に大阪まで行って、遠距離バスに乗って御厨人窟に行く、
というギリギリ前日に、法事が入った!

(法事の時に親戚の皆さんと一緒に頂いたお食事の写真)



私は空中に向かって尋ねてみました。

「私、法事を土曜日に取りまとめて、
翌日の朝早くに起きてバスに乗って高知まで行けるか?」

 

即座に「行ける」と声が返ってきました。

 

それで母に「引き受ける」と言いました。

そして、その法事に向けて色々尋ねることがあるので、実家に何度か行って打ち合わせをすることになりました。

続く